釜山旅行記

 2002年夏の日韓共催ワールド・カップの盛り上がりやあの感動は忘れようがない。私の好きなフレーズを繰り返すが、ワールド・カップとは国の威信をかけた気高き戦いであり、サッカー小僧にはワールド・ウォーに見えるのだ。アジア最強を示すためにも、好敵手韓国は必ずや撃破すべき相手である。
 セネガル(かつてフランスの植民地だった)が予選でフランスを撃破すると、国をあげてのお祭り騒ぎとなった。セネガルの大統領は、この日を国民の祝日にするなどとはしゃいでいたが、この勝利は独立記念日や戦勝記念日に匹敵すると解釈できよう。日韓戦もそれと似たような雰囲気があるような気がする。

 少し前の話だが、2000年8月、私はオレゴン州ポートランドに4週間ほど滞在した。その時仲良くなったアメリカ人が、なぜか韓国で英語教師として働いていて、今ルームメイトがいなくて部屋が空いているから遊びに来たらどう、とメールをくれた。正直に言うと英語圏(アジアならシンガポールとか)に行きたかったので、ややがっかりという気持ちがないわけでもなかったし、私は当時付き合っていたガールフレンドとどこか旅行に行くつもりだった。しかし、せっかくの機会(宿泊費タダ!)なのだ。
 結局、ワールド・カップ開幕の直前2002年3月初旬、私は韓国行きを決意した。もちろん、共催国としてパートナーを知らずに軽々しく共催など言いたくない。とにかく私は日本代表として日本を背負った旅をするつもりだったし、サッカー小僧として韓国代表に一泡吹かせてやるつもりだった。それはともかく、サッカー小僧の私としては、会場が日本の場合数割増しの強さを発揮する韓国の秘密を暴き、日本代表の勝利に貢献するつもりだった。

 というわけでアメリカ人の友人と連絡を取り、宿泊を頼む。彼女(以下、相方)は北大に1年ほど留学して日本語がうまい。「私は日本人の友人がたくさんいるけど、大抵彼らは遠慮するのに。」とMSNメッセンジャーで話していた。”I’m not a typical Japanese.(僕は典型的な日本人じゃないからね)”と返す。私はあまりそういうことを気にしない性質だ。

 何となく、有名どころのガイドブック『地球の歩き方』を購入する。なるほど、だいたい食べ物はキムチのような赤い色なのか、辛そうだな。韓国人は電話好きなのか。物価はだいたい半額くらいなのか。まあ現地では村上春樹でも持っていってゆっくりすればいいか。チャガルチ市場とかソミョンみたいな繁華街にも行こうかな。慶州(キョンジュ)は日本でいう京都とか鎌倉みたいなものか、少し遠いが一度行きたい…などなど、予習する。
 1週間有効な航空券を確か4万円弱くらいで購入する。私の親戚は割と私を可愛がってくれているので、親切にもお小遣いをくれる。釜山に行くと言っただけで瞬く間にお金が集まり、バイトで貯めたお金だけで行くはずだった旅行費のだいたいは集まってしまった。改めて血の繋がりに感謝。

 旅行の二日前に相方から国際電話がかかってきた。確か家でマンガを読みゴロゴロしていた時だったと思う。私は電話の相手が相方だったことに驚いた。突然の”Are you T(my name)? M(her name)デス”という電話に激しく動揺した。当時はまだ英会話が全然できなかったので、日本語で話してしまった。
 どうやら、明日(つまり釜山到着の前日)は仕事があって疲れるから、今日旅行の日程を連絡してきたという。口頭(しかも英語)で、キメコハン空港に着いたらタクシーでハダン・ハッキョ(後でわかるのだが、ハダンは地名、ハッキョとは学校の意味だった。)まで乗せてもらうようにとのことだ。その近くにあるxxxという英語塾(名前は伏せます)がビルの○階にあって、相方はそこで働いているらしい。携帯電話があるから何かあったらxxx-xxx-xxxに連絡すればいいと言う。
“Don’t you give me E-mail about it later?  If I wrongly made a note, I can’t arrive there.(後でその内容をメールを送ってくれないの? もし間違ってメモしていたら、そこに着けないんだけど)”
“Then, repeat your memo.(じゃあ、そのメモ復唱してよ)”とかわされてしまう。まあ電話番号がわかれば問題ないだろうと私も楽観的に考えた。後で結構大変になるのだが。

 海外旅行は2度目なのでそれほど緊張することはなかった。成田エクスプレスは高いため、宇都宮線で上野まで出て、そこから上野発の京成ライナーを利用するルートを選んだ。最近成田空港ではさまざまなサービスがあり、探検しているだけでも楽しい。インターネットも無料だ。そこからホットメールにログインし、携帯電話に登録してあるあらゆる友人に行ってきますメールを送信し、そして搭乗した。
 私の飛行機は大韓航空だった。わずか二時間のフライトでも、ランチとおやつが出る。また韓国に行くときにはこの航空会社を選ぼう。皆様もぜひご利用ください。
 機内で隣の席に座っていたキムさんがいろいろと親切にしてくださる。韓国では苗字の種類が数えるほどしかなく、金(キム)は最も有名なものの一つだ。彼女は日本と韓国を仕事で何度も行き来しており、日本語がとても上手だ。
 彼女は「釜山についたら私に電話しなさい、ヘウンデのあたりを車で案内してあげる」と日本語でいう。治安が悪いところでは極めて悪いアメリカで1ヶ月暮らした私である。こんな初歩的な誘拐があるか、と思った。海外で親しげに日本語で話しかけてくる外国人、車に乗るというのは誘拐のキーワードなのだ。
 機内では釜山についてさまざまなことを教えてくれた。釜山は日本の第2の都市、大阪のような土地だという。ソウルの人々は、東京のようにやや冷たい印象があるという。現地についてからもタクシーを拾ってくれたりと、やけに親切だった。私は、さすが誘拐犯、はじめは美味しい思いをさせておいていつかどんでん返しで誘拐するんだろう、と警戒していた。しかし、見た目も怪しくないし、よく考えれば座席も決まっている機内で誘拐を企むか、すでに空港内の防犯カメラに映っているはずと考えられるだろう。セキュリティの厳しい空港で誘拐事件というのは実際あまりないのではないだろうか。

 そしてタクシーに乗る。高い方の黒いタクシーだった。韓国は右側通行だ。空港周辺は4車線(確か)で、何となく軍隊を髣髴させる。日本車はほとんど見かけないが(高い関税がかけられているらしい)、日野のトラック(RINO?)はとても多く見かけた。運転手さんは学生時代日本語を勉強していたそうで、「ハダン・ハッキョまで、30分(だったような)」と少し日本語を話す。
 ラッシュ時だったので11500ウォン(約1150円)かかった。チップを含めて12000ウォン払った。後で相方に聞いたら「(釜山ではチップの習慣はないのに)あげすぎじゃない?」と言われた。そういえば運転手はすごく喜んでいたような気がする。スーツケースをトランクから取り出すなど、愛想なども完璧だった。
 それはともかく、そこから相方が働く英語塾がわからない。スーツケースを転がしながらハダンの街を彷徨う。周りの人に聞いてもわからないばかりか、そもそも英語がほとんど通じない。どちらかというと釜山では日本語の方が通じるのだ。道行く人に”Excuse me, do you speak English?”と尋ねると、だいたい”No”なのである。英語が話せそうな品の良い格好の人を探して話しかけた。彼は建築関係の親方らしい。目の前の小さな工場に戻り、こんな会話をする(以下私の想像)。
社長:「おいお前ら、英語は話せねえか。今日本人がいるんだよ」
工場の奥から柄の悪そうな人も合わせてわらわらと10人くらい来る。異国の地で知らない人に囲まれるのはひどく緊張する。
社長:「こいつ(私のこと)は日本人なんだが、英語を喋る。誰か通訳できねえか。」
従業員ら「…(できないっすよ)。」
私「I want to telephone my friend here. She works at English private school around here.」
 ハングルではテレポンと発音するようで、この英語も通じないのだ。そこでジェスチャーゲームみたいな感じで電話番号を示し、電話をかけるしぐさをする。
社長「あぁ、わかった。じゃあお前協力してやれ。」
従業員A「まじっすか、社長。でも僕は英語できませんよ。」
社長「いいから行ってこい。イルボンが来てるんだぞ。」
従業員A「…(渋々した表情で)わかりましたよ。」
 従業員Aに連れられ、地下鉄の公衆電話にたどり着く。しかし、事は簡単に進まない。その電話番号は何と日本から釜山にかける時の番号で、現地からは国番号やら市外局番などでかけ方が違うのだ。
従業員A「本当にこの番号は合っているの? (不思議そうな顔をして)つながらないんだけど。」
 実はこれで相方にはぐらかされるのは2度目である。一度はシアトルで、そしてこの時釜山で2度目である。シアトルでも公衆電話から長距離電話をかける時には頭に1をつけてからコールしないとシアトル市内の電話につながってしまうのである。25セントコインは尽き、辺りは暗くなり、次第に怖そうな人が増えてきた。さすがにこのとき少し命の危険を感じた。
従業員A「ごめんな、悪いけどわからないよ。」といって、あれだけ嫌々だったのに最後に使っていたテレホンカードをくれた。

 私もどうしていいかわからない。最終的にハダン・ハッキョに侵入する。そこなら英語の先生がいるはずだと思ったからである。とりあえず、グラウンドで野球をしていた少年に”Excuse me, do you speak English?”と、英語が話せないとわかっていて尋ねる。Noしかできない少年に”I’m searching xxx English school. … ”などと質問する。クラブ活動中だったので、監督らしき人が大声で叫んでいたような気がする。多分、練習中だぞ、一体お前は何なんだ、とでもいっていたのだろう。しかし私にはハングルはわからない。
 時刻は夕方で、あらかた先生も帰宅されていたので見つけるのも一苦労だったが、何とか英語の話せる先生に目的地を教えてもらった。後で塾の生徒から、Did you come to Hadan school? My mother is a teacher and works there. She told me she talked with you. と突っ込まれた。恐るべきつながりであるが、その通りです。ありがとうございました。

 そんなわけで、やっとのことで英語塾にたどり着く。正直相当消耗した。相方は平然と「It’s too late. What did you do? ( 遅かったわね。何してたの?)」という。電話番号のトラブルを話すと、「General Korean should understand the difference with ease.(普通の人ならそれくらいの違いはわかるものよ)」と反省の色なしである。まあ辿り着けたのならいいだろう。
 ここでは日本人が珍しいらしく、みんながみんな私に興味を持ち、先生やら生徒やらあらゆる人から質問責めにあう。当時英会話がそれほど得意でなかったので、英語塾で待ち合わせるというのはややハードすぎるものがあった。基本的な自己紹介なのでそれほど難しいことはないが、おそらく私は15回くらいI’m from Japan. I’m T. I stay here for 7days.などの同じ会話を繰り返した。
 塾に通う小中学生は日本人の私にえらいはしゃぎようである。これだけ歓迎されれば誰しも韓国に来て良かったと感じるだろう。釜山に来てわずか2,3時間のことだ。
Students: “How old are you? (あなた何歳?)”
I: “How do you think? (何歳だと思う?)”
Student A: “15! (15歳でしょ!)”
 私は相当の童顔で華奢な体格なので、しばしば若く見られることがある。韓国では年齢の数え方が違う(母親が妊娠したときに0歳と数えられる)ので、韓国で15歳といったら日本でいう13,14歳に相当するらしい。つまり私は彼らとほぼ同い年と見られていたのだ。
鴻巣で普通運転免許の取得の際には勧誘して来る人に「原付免許(18歳未満)ですか?」とか、家庭教師派遣業務大手会社の本部に月間報告しに行くと、スタッフに「こちら生徒さん(中学生)は入れませんよ」と言われたこともある。
I: “I’m 21 yrs old.”
Students:  Surprise left them speechless(生徒たちは驚きのあまり言葉を失った。).
俺って見た目より年寄りみたいです。

 塾長も親しげに話しかけてくる。「私はキム・X(ファーストネームは伏せます)です。高校のときに、日本語を勉強していました。」彼は少し日本語が話せるのだ。どうも韓国の高校では、外国語として、英語と日本語を勉強するらしい。
 夕食は塾で相方に出前を取ってもらった。ハングル語のメニューが読めないので相方に任せた。一つは韓国のうどんで、なか卯で食べられるような関西系のカツオダシだが、赤唐辛子みたいなのとキムチがトッピングされており、ものすごく辛い。もう一つはこれもうどんみたいなので、黒いどろどろしたスープでなぜか甘かった。もちろんデフォルトでキムチが別についてくる。確か大根キムチだった。

 次の日はあいにくの雨模様。相方の住むアパートの2階の家族に挨拶に行く。小学校1年生の男の子と保育園児くらいであろう男の子二人を持つ家庭だ。奥さんと幼い方の子供がいた。彼女は英語が全くできないし、相方も私もハングルが全くできない。会話は困難を極めた。
 突然の日本人の来客にも関わらず、彼女は歓迎ムードでいらっしゃいと親しげである。子供も日本人が来たことにはしゃいでいる。お邪魔したのはお昼ちょっと前で、彼女はランチをご馳走してくれた。日本と同じカレーライスだった。韓国でご飯物はぐちゃぐちゃにかき混ぜて食べるのがマナーだそうで、日本式に食べようとした私の皿を取り、こう食べるのよ、とカレーとご飯をぐちゃぐちゃにかき混ぜられてしまった。私はカレーが大好きなので、こうされると何となく人のご飯に悪戯されたような気分だった。しかし、そんなものは彼らの歓迎の形であろう。とにかく、私はまるで家族のように歓迎され、しばし新しい家庭でのポジションに悩む。
 昼過ぎに小学生がクラスメートと一緒に帰宅した。その友人の母親(Cとする)も一緒で、どうやら親同士も仲良しなようである。彼らも変わらず、イルボンの登場に大歓迎ムードだ。彼女は釜山大学を卒業していて、多少の英会話はできるので通訳してもらった。彼女の能力が彼らの質問したい意欲をかきたてた。また質問の荒らしだ。辞書を片手に、基本的なプロフィールを始め、何日滞在するか、どんな勉強をしているか、親は何をしているか…。
 小学生二人はピアノ教室に出かけ、大人組に少しハングルも教えてもらう。ソウルと日本語風にいっても通じない。この「う」は口を尖らして・・・。昼食直後のおやつには大量のあんまんがでた。私はあまり粒あんが好きでなく、実はそれほど甘いものが好きではないのでやや苦しいものがあった。
 Cさんのお兄さんは医学部の教授で、その奥様は日本語がとても上手だという。彼らはかつて日本に滞在したことがあるということだ。そういうわけで、数日後一緒に観光しましょう、お食事しましょうとお誘いを受ける。私の旅行の予定は基本的に白紙だったのに、会う人が大抵親切にどこどこに行きましょう、と誘うので意外にハードスケジュールになってしまった。
 Cさんは帰宅し、夕方には一家の主、父親が帰宅した。奥さんはイルボンが来ているのよ、みたいなことを話しているようだ。旦那さんは、そうか、よく来たな(私の想像。彼も英語がほとんどできない。)、と歓迎である。グイっと飲む仕草で、「君はお酒を飲むのかい?」みたいなことを言っているらしい。I can’t drink but I try. ということで、彼は近くのコンビニ(?)までひとっ走りで日本酒みたいなのを買ってくる。実は彼もあまり酒が強そうではない。
 彼は顔にすぐ出るタイプで、酔うと軍隊の話を始めた。韓国には徴兵の義務があるので、20代の男性はみな一定期間軍隊に所属しなければならない。いつ徴兵に行くのだ? と私に質問するので、日本には兵役の義務はない答える。私の華奢な骨格を見て、それじゃあ軍人になれないね、と説教をされる。まあ私は日本人なので。
 韓国の成人男性は、だいたい同じようなルックスである。日本人が白人を見ると、金髪や肌の色や鼻の高さばかりが目立ってしまい、まったく区別がつかないことがよくあるように、韓国人に対してもそうだった。彼らの特徴は、痩せ型・メガネ・カリアゲである。他には、細目、頬骨が張っていることだろうか。いずれにしても、全ての顔のパターンを列挙しても、せいぜい10もないような気がした。

 その後、この家族全員と一緒に車でスーパーに買い物に行く。韓国人の運転は極めて乱暴である。少しの隙間でもあればガンガン車線変更というか、非常に乱暴に入ってくる。危ないからクラクションを鳴らすが、お父さんも同じように強引に入ってクラクションを鳴らされる。青信号でほんの一秒でも止まっているとクラクションを鳴らす。お父さんもそうされて、うるさいな、みたいなことをつぶやいていたが、やはり自分も同じようにクラクションを鳴らし、早く行けよとイライラしているようだった。幸い危険な事故(激しい接触事故で怪我する)にはならなかったものの、本当にいつ事故がそこいらで起きても何ら不自然ではないほどであった。わずか一週間の滞在で、私は3回ほどバイクにはねられそうになった。あちらでは歩行者優先という概念は通用しないのだ。歩行者が車から自衛の手段をとるのは難しい。
 韓国で車に乗っていると、日本の暴走族(珍走団)が運転する車に同乗している気持ちになる。とりわけ暴走車と化しているのがバスである。あんな大きな車体がガンガン隙間に入ってきて、小型車やバイクなどの命はどう思っているのだろうか。韓国では自転車や歩行者など弱い立場が車をよけなければならないのである。私は忠実な飼い犬が突然飼い主に噛み付いたような衝撃を受けた。数日後、Lさんという日本語がとても上手な女性に会う。彼女は私に、初めて日本のバスに乗ったとき、どうしてこんなにのろのろ運転なのか不思議に思いました、と言った。私は韓国の基準がわからない。これは相当のカルチャーショックだった。
 韓国の車は基本的にボコボコで傷だらけである。路上に隙間なく何台も駐車されているため、事実上車が封印されているような光景である。しかも頭を向かい合わせて駐車してあるのも珍しくなく、一体どうやって車を出すのか非常に興味深いところである。洗車好きの私としては、心が痛む光景だった。おそらく車をぶつけることが多いのだろう。正直に言うと、今後とも韓国であまり車には乗りたくない。

 韓国のスーパー(Kマートだっけな? カルフールも行きました)は非常に大きい。日本でいうデパート級のサイズである。気になったのが、駐車場でなぜかたくさんの案内人がいて、滑らかに腕を動かしながら、空いている駐車場を指示している。その動きが良かった。しかし、コスト的に言えばあまり効果的とは言えないだろう。
 釜山は韓国最大の港町である。果物ではみかんやオレンジなどが多くあり、日本でいう神奈川西部や静岡辺りの気候なのだろうか。私も港町平塚市で育ったので、何となく懐かしい感じがする。日本と同じような海産物(塩辛、するめ、海苔・・・など)をお土産に買おうとしたら、チャガルチに連れて行ってあげるから、そこで買いなさい、と言われる。結局私はデジカメ用の電池を買っただけで帰宅した。

 次の日は、機内で一緒だった金さんにヘウンデ周辺を案内してもらう。周辺の観光地やカルフールや彼女の友人の家へ連れて行ってもらった。ヘウンデは韓国でも有名なビーチだが、この時期にはまだ寒く、人もまばらである。イメージ的には、熱海のような場所と思ってくれれば問題ないだろう。
 彼女と彼女の友人いわく、私はとてもハンサムだという。どうも韓国では私のような顔は受けがいいのだろうか。国によって好みというのは著しく変わるというのは知っていたが、自分がそういう扱いを受けると何だか気分が良かった。俺も男だな。もし実際に韓国人の女性と付き合うことになったら、と考えた。儒教の影響を強く受けた彼女らにとって、私のようなアウトローは受け入れられないのではないかと思う。しかし、そういった壁を乗り越えることこそ恋愛なのかもしれない。
 彼女は日本と韓国を行き来し、海外にも多くの友人がいるという。オーストラリアの話や、彼女の子供の話や、その他日本人の印象などさまざまなことを話した。彼女の運転するヒュンダイ(現代)の車はカーナビ搭載で、とても高級そうだった。
 相方の働く塾に寄って、一緒に帰ることにする。私が日本人ということで、相方の授業にもゲスト参加し、いろいろ質問される羽目になる。その授業風景だが、日本人の登場に煽られてか、子供たちは全く相方の話を聞いてはいない。韓国の子供は元気いっぱいで、物怖じすることなく発言する。日本人の感覚からすれば、若干落ち着きがないとさえ感じるかもしれない。
 先生なのに相方は終始圧倒されっぱなしである。手に負えない相方は英会話の練習をゲームでやった。8*8くらいのパネルに人物のカードが並べられ、それぞれ性別、髪・目・肌の色、メガネ、服装など異なっている。先攻・後攻に別れ、まず自分たちがどれか人物を選び、お互いの特徴を推理していくいわゆる人物当てゲームである。髪の色はなんですか? 性別はなんですか? どんな服装ですか? など、相手の人物を推理する。
 恐るべきことに、この生徒たちはどの質問がどれくらいの確率で相手を絞ることができるかを完全に把握しているゲームマスターなのだ。たとえば、髪の色を聞く、服装を聞く、それはTomだ、といったパーフェクトなコンボを間違いなく理解している。しかも、カードの折れ曲がり具合からも一発でCatherineを当てることも可能だ。だから、何度やったとしても大抵2,3手ほどでゲームは終了する。はっきりいってこのゲームは完全に攻略されていると断言していいだろう。このゲームの意図は、正しく疑問詞が使えるかどうかということであろうが、すでに彼らは十分すぎるほど理解していた。
 相方も対戦したが、いかにネイティブとはいえ、この相手に勝ち目がなかったのは言うまでもなく、英会話の練習にすらならなかった。生徒が一つ質問して、残りのパネルの予想を始める。「メガネをかけていますか? ・・・じゃあMike, Steven, Jennifer!」のように(見事に正解)、すでに英会話のレベルを超越したステージだった。結局相方は彼らを落ち着かせることはできなかった。「こういう日もあるのよ」と嘆いていた。韓国の子供たちは侮れない。
 帰宅したその夜、キムチ味から解放されたい相方と私は宅配ピザを頼む。彼女もキムチ味が好きではなく、私も幾分あの辛さに飽きていたところだった。二人ともハングルのメニューが読めず、数字くらいしか理解できない、英語でそちらの人気のピザをお願いします、と曖昧に頼んだ。「ミックス」という単語だけは聞き取れたので、おそらくミックスピザみたいだから大丈夫だろうと予想した。値段は確か2500ウォン(250円)くらいでとても安かった。このいい加減な注文が後に悲劇を呼ぶことになる。
 20分後くらいにピザが届いた。私たちは愕然とした。何と人気商品はキムチのミックスピザだったのだ。特に相方はOh, god…とひどくがっかりしていた。まさかキムチピザがあるとは予想だにしなかった。しかも、韓国恒例のセットとして、食べ物には必ず別添えでキムチがついているのだ。まさかピザにまでキムチが添えられているとは・・・。キムチの国、恐るべし。

 次の日、上のアパートの親子、Cさんとその子、そしてその兄の奥さん(Lさん)にチャガルチに連れて行ってもらう。その奥さんは日本語が非常に得意である。数年前(確か2〜3年)に日本で日本語を一生懸命勉強して、日本語検定1級を持っているという。まるで日本人と話しているみたいだった。彼女の通訳のおかげでコミュニケーションも随分潤滑になった。
 チャガルチは韓国最大の港町だそうだ。私たちは市場を見て周った。魚屋では1階がいわゆる魚屋で、2階でそれを調理して食べるという食堂のようなお店が非常に多い。魚の名前がわからないが、とにかく獲れたての魚を刺身にして食べた。これほど美味しい刺身はいつ以来だろうかというくらいだった。相方はアメリカ人らしく、生魚が食べられないので一緒に来なかった。何とも惜しいことをしたことだ。
 お土産用にするめなどの珍味類を購入した。だいたい数万ウォン(数千円)くらい買い込んだ。お店のおっさんは日本語で、ありがとうございます、という。私はハングルでカムサハムニダという。どうもお得意様と見てくれたのか、試食用にいろいろプレゼントをもらった。

 ハダンの二人の奥さんは子供もいるので、近くで買い物をするというので、私は日本語の上手なLさんと二人でチャガルチ周辺を観光する。基本的にこの辺の観光地には日本人がとても多いというか、日本人だらけである。土産物屋のほとんどの店員はとても流暢な日本語を話せる。どうもハングル語と日本語は文法的には非常に似ているそうで、彼らにとって日本語はとても易しいそうだ。
 釜山の街並みや風景はどことなく日本と似ている。釜山タワーの展望台からは九州が見える。ちょっとした遠泳ですぐ日本に帰れそうな気がした。改めて韓国にいることを実感し、キムチ味ではない日本の食べ物が少し恋しかった。
 韓国には日本の文化が大量に輸入されている。マンガやアニメなどはほとんど全てメイドインジャパンで、日本のレコード(私は個人的にCDという言葉をあまり使わず、この時のレコードはCDを指す)も見かけた。英会話教室の生徒に、Do you know Shinichi Kudo(名探偵コナン)? と質問され、ハングルを喋る工藤新一のコミックスを見せられた。なぜ塾にマンガを持ってくるのかという突っ込みはさておき、何だか違法コピーの匂いがした(正式な商品)。日本映画では宮崎駿監督が大人気だという。チャガルチの国際映画通りで、トトロやラピュタなどのポスターを何枚も見かけた。Lさんは宮崎作品の大ファンだそうで、私は最新作の「千と千尋の神隠し」は彼の最高傑作で、日本でも最高収入を記録したと話した。そんな話をしていると、何だか本当に異文化交流をしている感じがしてきた。
 私の旅行にとって彼女の存在はとても大きかった。日本語を話し、そして日本に滞在したことがあるからだ。私はそれまでの偏見として、韓国人の多くは反日感情を抱いていると思い込んでいた。確かに歴史的に言えばそれは正しいと思う。しかし、現実的に言えば、もちろん反日的な人々もいることは確かだが、どうやら彼らは圧倒的なマイノリティであるのだ。
 私は非常に緊張してLさんにずっと興味を持っていたことを聞いた。韓国では、反日感情を持っている人が多いのですか? 歴史的に言えば、日本人はひどいことをしてきたし、今でもそう思っている人は少なくないんじゃないですか? Lさんはどうしてそんな質問をするのかと不思議そうな顔をして、大多数の韓国人は日本ともっと交流したいと感じていますよ。私が日本にいた時は、日本語の先生をはじめ、日本人みんながとても親切でしたし、私も韓国に来た日本人に親切にしたいと思います。もし私たちが反日感情を持っていたらTさん(私のこと)を相手にしませんよ、と彼女は答えた。

 私が韓国にいる間、日本人というだけで必ずといっていいほど人々は皆親切にしてくれるし、来日経験のある韓国人はまるで打ち合わせをしたかのように、日本人はとても親切だから、逆に彼らが韓国に来た時は親切にしたい、と言う。
 繰り返すが、韓国に来るまで私は韓国というのは反日感情の強い国だと誤解していた。確かに、日本はアジアを侵略したせいで、21世紀になっても根深く残る感情が完全に消え去ることはないだろう。しかし、半島民族は概して大らかで陽気な国民性である。そういった国民性が存在するとは夢にも思わなかったし、日本に来た韓国人に親切にする日本人がそんなにも多いとも思わなかった。実際に私を歓迎してくれた韓国人全員がそういうので、私は何かの悪戯かと誤解したほどだ。
 その後も日本語の上手なLさんと、日本人と韓国人の見分け方や、韓国のサッカー事情や日韓戦の抱負などを話した。日本語は楽でいい。

 Cさんが前からディナーに誘ってくれていたが、どうしても都合が合わなかったのでランチに誘っていただいた。アパートの二階の奥さんがドアベルを鳴らし、ジェスチャーでランチを食べに行こうと誘うので、Cさんのアパートまで相方と一緒に連れていってもらった。おそらくCさんは比較的裕福なのだろう。マンションの最上階に住み、何となく家具なども豪華な感じがした。
 カルビやサラダや果物など本当にいろいろな食べ物がテーブルに支えきれないほどあった。客一人に対して何人前あるのかわからないほど大量にある。私は元来それほど食べる人間ではないので、正直多すぎた。多少無理して食べたが、相当厳しかったことは言うまでもない。後で知ったのだが、韓国ではこのように多量のごちそうでもてなすスタイルが採用されており、外国人にとってはやや驚きかもしれない。これ以上食べられなくなったら、マンポクイムニダ(お腹がいっぱいです)と断ろう。慣れない異国の食べ物を大量に食べるのは身体に良いことではない。本当に洒落にならないくらい大量である。
 私は何度か海外旅行に行ったことがあるが、私の味覚に最も合うのはやはり日本食である。海外に行くと決まって醤油や味噌のような塩っ辛い味が恋しくなる。アメリカはあまりに油っこい食べ物が多すぎるし、韓国はほとんどキムチ味だし、タイでは下手なものを食べるとお腹を壊す可能性がある。
 韓国というと焼肉というイメージがあるが、おそらく日本で日本人が考えているものとは一致しない。あちらでコギ(焼肉)といえば、普通は豚肉であり、普段食べるものではないらしい。私がゲストだからこそ、スペシャルランチを作ってくれたのだ。普段は主食の米とキムチや海苔など低カロリーのおかずである。それが彼らの痩せている理由であろう。在日朝鮮人の友人が言うには、日本で食べられる朝鮮式の焼肉(内臓系の安価な部位など)というのは在日朝鮮人独自の文化であり、韓国では見られないそうだ。彼いわく、日本で食べられる牛の焼肉が一番美味しいらしい。それは私も同意する。日本に生まれて良かった。

 その昼過ぎから、アメリカ人の相方と、同僚の台湾人(中国人)と一緒にテジョンデに行った。Gさんこと中国人の彼女は英語塾で働くだけあって、英語が非常に得意だ。私と同い年で、ほぼネイティブクラスの英語力である。言語全般が得意で、去年は私と同じようにフランス語を履修したという。Je m’appell T. Je suis etudiant japones. とか第1課の例文のみによる会話をした。彼女は高校のときに日本語を勉強したことがあって、「私は綺麗ですか?」と日本語で話しかけてくる。なかなか気の強い女性である。普通は自己紹介から始まるのではないだろうか。
 テジョンデは伊豆や真鶴に良く似た観光地だった。風が強く、フリース一枚では寒かった。相方は仕事があるので早目に塾に戻るが、Gさんとソミョンまで行く。ソミョンは日本でいう渋谷とか原宿みたいな場所で、若者が多く華やかな街である。彼女とロッテデパートで、ガールフレンドのためにマックの口紅(20000ウォン、約2000円 安いのだろうか?)などのお土産を買った。彼女は口紅よりも1000ウォン(約100円)で買った高級クッキーの方を喜んでいたようだった。大抵すっぴんの当時の彼女は、花より団子である。しかし、私の意表をつく口紅のお土産は嬉しかったようだ。数日後、目をキラキラさせながら、今日は口紅してるんだよ、とアピールするくらいであった。さすがに口紅をしているかどうかくらいはわかる。猫に小判、私の彼女にマックの口紅。とにかくGさんありがとう。私は男なのでマックの口紅がどういうものなのか一生わからないだろうけど・・・。
 その帰り道どうも私は体調が悪くなり、途中地下鉄を下車し、吐いてしまった。何とか塾までにはたどり着くことができたが、やはり調子が悪かったので先にアパートに帰ることにした。私の体調は一層悪くなった。

 私は完全に風邪をひいてしまった。熱が高く下痢がひどかった。おそらく、不慣れな韓国の食べ物をたくさん食べ過ぎてしまったのと、天候が不順だったためだと思う。私が病気で倒れると、塾の生徒や先生や塾長など、他にも出会った人ほとんどみんながお見舞いに来てくれた。T(my name), Are you OK? みたいなのを何度聞かされたことか。嬉しいことは嬉しいのだが、おかげでちっとも眠れない。しかも病気の時に英会話などしたくない。
心配した二階の家族は、針治療師みたいな人を呼んでくれた。韓国伝統の治療法らしく、手の親指あたりに針を刺し、悪い血液を出すということらしい。チクッとした痛みの後、どす黒い血が流れ出た。そのおかげでお腹の調子は良くなってきた。韓国のおかゆみたいなのを作ってくれたが、正直結構不味い。ごま油が入った醤油みたいな調味料で味付けするのだが、そんな液体も私のお腹は受け付けなかった。何の味もないおかゆをとりあえず全て食べた。
 夜遅くにはCさんのお兄さん(医学部の先生)が隣町からわざわざ来てくれ、日本語での往診がはじまった。私の頭はほとんど働かないので英語が話せなかった。先生は、熱と下痢など、複数の症状が出ていると日本語で説明し、英語でdehydrationと言った。I need water. ということだ。その奥さんのLさんが私と先生の日本語をハングルに通訳し、Gさんがそれを英語に訳して相方に伝える。その場には韓国人、日本人、中国人、アメリカ人がいて、各国の言葉が飛び交った。何と国際的な診察だろうか。とにかく彼らのおかげで、次の日には何とか空港までいけるくらいには回復した。本当に彼らには感謝している。カムサハムニダ。

 そして釜山最後の日、私は昼の便で帰国する。日曜日だったので二階の家族全員による車の送迎をしてくれた。ハングルがよくわからなかったが、その途中でも常に私の体調を心配していたのは確かだった。空港で出国手続きなどをしていると、近くにいたある韓国人女性が私たちのことを見て日本語で、「通訳しましょうか?」と話しかけてくれた。彼女は私の東京行きの5分後に出る、大阪行きの便に乗るそうだ。彼女も例外ではなく、「私が初めて大阪に行ったとき、日本人はとても親切でした。だから私も日本人に親切にしたいです。」と親日感情を持っているのだ。
 彼女もやや体調不良気味で、「韓国人でも今の季節はしんどいです。でも帰国できてよかったですね。」と話す。私は「彼らはまるで家族のように私を歓迎してくれて、何と恩返しをしたらいいかよくわかりません」と答えた。彼女はそれを通訳してくれた。二階の家族は、それが韓国式の歓迎だ、と、まるで当然だといわんばかりの返事をした。そしていざ出国ゲートをくぐるとき、私はやはり涙が止まらなかった。

 これだけ親切にされて、私も日本で何かお返しができないかと強く思うようになった。もし私がこの旅行のことを忘れてしまえば、天罰を受けても仕方がないとさえ思うかもしれない。それがテポドンだ、なんていうブラックジョークはやめましょう。
彼らと直接の関係はないものの、日本にも多くのコリアンが生活している。私のボクシング好きの友人が、徳山昌守という在日朝鮮人の世界チャンピオンがいるという話をしていたのを思い出した。それ以来、私はボクシングも好きになったし、日本でも在日朝鮮人関係の繋がりができたし、随分世界が広がった。
 個人的には、日韓共催というワールド・カップでとても良かったと思う。これがきっかけで私のように韓国に関心を持ち、実際に旅行に行った人もたくさんいることだろう。こんなにも友好的で仲良くなりやすいお隣さんと上手く付き合っていけなければ、目や肌の色の違う人たちと仲良くなれないだろうし、世界平和を語っても実現できるはずがないだろう。
半島国家、韓国はアジアのラテン系かもしれない。世界的に見ると隣の国同士で宗教や民族のトラブルは少なくないが、私はこんな熱く友好的な国がお隣さんでよかったと思う。21世紀において、成長著しい韓国は日本のライバルになるだろうし、お互い助け合っていくパートナーでもあろう。韓国はもはや近くて遠い国ではないのだ。

 最後まで私の長い旅行記を読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。これをきっかけに、韓国に興味を持っていただければ幸いです。


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