2002年9月、当時5度目の防衛戦をクリアしたWBC世界スーパーフライ級王者徳山昌守選手に会った。少し昔のことを私の記憶にしたがって書いているので若干曖昧な点もあるが、ほぼ事実を伝えていると思う。


前書き
 釜山への旅以来、すっかりコリア(韓国と朝鮮の両方を指す)フリークになった私だが、日本でもコリアン、とりわけ在日朝鮮人の皆様との関わりは続いている。
 ヨーロッパは元々白人国家だが、アフリカに多くの植民地を持っているため太い繋がりが生まれ、現在でも多くの黒人がヨーロッパで生活している。先日のコンフェデレーションズカップの決勝戦、フランスとカメルーン(フランスの植民地であり、公用語もフランス語である)のメンバーを見ると、ベストメンバーではないとはいえ、フランスも半分くらいは黒人なのである。また、フランスなどヨーロッパリーグでプレイするカメルーンの選手もいるのだ。それと同じように、かつて朝鮮半島は日本の植民地であった。それが現在も在日朝鮮人が数多くいる理由でもあろう。
 白人と黒人を見間違えるような人はいない。見た目が違えば、宗教や文化なども違うということは容易に理解できるはずだ。一方で、日本人とコリアンの外見はほとんど変わらない。あえて言えば、コリアンは頬骨が張っているくらいであろうか(在日朝鮮人の友人談)。見た目が同じであるという理由もあるだろう。私たちは彼らを日本人扱いして、彼らの民族性を尊重することが苦手である。さらに不幸なことに、お互いが交流する機会にあまり恵まれていないのだ。
 歴史は事実だが、宗教的な対立があるわけでもないし、日本人が理解しがたい習慣などもほとんどない。かつて中国の文化は朝鮮半島経由で伝播したものであるし、韓国の街並みはどことなく一昔前の日本に似ているし、ハングルも文法的には日本語とそっくりだそうだ。
 私が思うに、これほど仲良くなりやすい民族性は他にはないのではないだろうか。島国と半島国家の相性はなかなか良いように思う。基本的にコリアンは大らかで陽気な性格である。日本人だからといって冷たくあしらうようなことは基本的にありえない。釜山で出会った韓国人と、近所に住む在日朝鮮人との印象はほとんど変わらない。もちろん、ごくわずかの人々は強い反日感情を持っていることもまた事実であろう。ただし、少なくとも私はそういった人を知らない。


チャンプとの出会い〜当日編
 在日朝鮮人にとってのスーパースターであり、私にとってのヒーロー、徳山昌守選手(以下:チャンプ)と直接お会いしたことがある。彼は大阪在住だが、免許の更新か仕事か何かでたまたま東京の実家に戻っていたとのことである。これを機会にたまたま埼玉の朝鮮学校で講演会をやることになったらしい。どうもたまたますぎるが、詳しい経緯はよく知らない。
 というわけで、私は月曜の午後、英会話の授業をすっぽかし、大宮へ参戦する。正直、朝鮮学校とは何の関係もない私が入ってもいいのだろうかという気持ちでいっぱいだった。しかし、在日朝鮮人はそんなセコイ考えを持つ人ではない。
 会場は古びた体育館で、チャンプはいつもの入場曲(朝鮮の軍歌らしい)で登場する。生徒たちは大歓声をあげる。私は体育館の隅っこの方で、チャンプの金髪がチラッとでも見えればラッキーくらいに思っていた。私は日本人だし、そう簡単に入れてくれるとは思っていなかったのだ。しかし、実際はまったく違ったのだ。会場にこっそり入ると、ある若い先生は「このイスにおかけなさい、どうぞ」と、突然の来客扱いである。
 まず、校長先生がチャンプの紹介をはじめた。何と、この校長先生はチャンプが東京の朝鮮学校に通っていたときの担任だったとのこと。お互いに偉くなったもんだな、と言い合い、笑う。校長先生が担任だった頃の生徒としてのチャンプだが、いつも友人に囲まれクラスの人気者だったそうだ。
 この会話も含めて、朝鮮学校の公用語は基本的にハングルである。ハングルはちょっとした挨拶くらしか知らないので、私はその会話がまったくわからなかった。私の近くにいた年老いた先生に「すみません、僕は日本人で今日チャンプに会いに来たのですが、ハングルが全然わからないので何を話しているのか教えていただけませんか?」と尋ねる。彼は「そうか、よく来たね。」と、喜んで通訳をしてくださった(この辺は本当にコリアンらしい大らかさで、私はこういうのが大好きなのだ)。何と彼は校長よりも偉い会長(正確な役職は忘れました、すみません)らしい。


チャンプと生徒さんとの質疑応答
 この後、チャンプと生徒さんとの質疑応答が続く。いわゆる質問タイムだ。「どうしてボクシングを始めたのですか?」、「どうして金髪にしたのですか?」などなど、質問は基本的なものばかりだった。彼らはまだ幼い小学生と中学生だ。私は可愛らしいなあとか初々しいなあと久しぶりに思った。チャンプは、小さいころから空手をやっていて、高校に入学していろいろクラブを見学したときにここなら青春を満喫できると思ったから、金は福を呼ぶラッキーカラーだから、と答えていった(ように記憶している)。
 他には、「今ここで戦ってください」とか、「俺を殴ってください」といった恐れ知らずの質問があった。会場は笑いに包まれ和やかな雰囲気だったが、世界チャンピオンに対して素人が物怖じしないしないというか、事実上「殺してくれ」と言わんばかりの挑発的な発言に私は唖然としていた。この質問を聞いて、一瞬チャンプが挑戦者をKOする目つきになったかどうかは覚えていない。チャンプは、君がプロボクサーになって強くなったら戦いましょう、まずはプロボクサーになってください、などとリング上と変わらず巧みなフットワークで質問を交わしていく。
 理解不能な質問もあった。小学校低学年の生徒が「腹筋見せて!」と言う。その質問は笑いを誘い、なぜか生徒全体で「見せろ! 見せろ!」とコールが始まった。さすがにこれにはチャンプも困った表情で、「今は腹筋を鍛えていなくて割れていないので見せられません…」とプロ・アマ含めてまだ一度しかダウンしたことがないチャンプだが、ここですっかりダウンだ。
 思わず微笑んでしまう質問があった。「初恋はいつですか」というトリッキーな質問に会場は沸いた。しかし、さすが当時5度防衛したチャンプである。「小学校二年生の頃で、一緒に押入れに入ってチューしました」などと、巧みなカウンターパンチで会場はヒートアップする。


イルボンの質問
 そこで突然、会長が「君もチャンプに質問すればいいじゃないか」と私に提案した。会長はせっかく来たんだからもったいない、という感じでマイクを私のところに持ってくる。私は最悪チャンプに会えないことも覚悟していたので、千載一遇のチャンスに困惑し、何を言っていいかわからない。とりあえず、「○○大学××学部3年の☆です。先日の防衛戦はさいたまスーパーアリーナで観戦しました。防衛おめでとうございます。」と挨拶(チュッカイムニダ(おめでとうございます)とか気の利いた挨拶くらい覚えておけばよかった。)。
 続いて、「僕は朝鮮学校とは何の関係もないんですが、今日はチャンプに会うために、授業をサボってここに参りました。」と、教育的な会場において非教育的な発言をする。朝鮮学校の生徒さんたちは私の登場になぜかはしゃいでいるようだ。だが、その後が続かない。何を話していいかよくわからなかったため、「5回の防衛に成功しましたが、今後の抱負を聞かせてください」と質問する。
 改めて振り返ると、何という初歩的な質問だろうか。せっかくのチャンプとの対話で話すべきことだろうか。小学生の質問と大して変わらないではないか。これが世界を獲れる者とそうでない者の差なのだろう。それはともかく、チャンプも日本人が朝鮮学校にいることに驚いていたようである。「次の試合はペニャロサとの指名試合(3回目の防衛戦で指名試合でもあり、リマッチでもあった)で、前回は苦戦したので今回は誰が見ても明らかなように勝ちたいと思います」と、何だかチャンプの仕事の話、ボクシング誌の対話みたいだった。

講演会終了
 最後にチャンプから生徒さんに、「在日朝鮮人であることを誇りに思ってください」というメッセージが贈られた。そして退場し、クラス別の写真撮影に応じることになった。
またもや会長が、「君もお願いして写真を取ってもらいなさい、せっかくの機会だからね」と提案する。先ほどから提案され続けっぱなしである。私はそんなことが許されるのだろうかと焦った。実際にカメラは持ってこなかった。しかし、先日の防衛戦のチケットはサインを期待して持ってきた。
 サインと写真撮影をチャンプにお願いする。彼はとても気さくな性格だ。逆にチャンプの方が「今日は授業をサボってまで来てくれてありがとうな!」という。私は目の前のヒーローからこんなことを言われるなんて(そもそも会えない可能性もあった)夢にも思わなかったので、感動のあまり身体が震えてしまう。防衛戦のチケットにサインをもらい、何とツーショットの写真撮影に成功する。チャンプは私の肩にWBCの黄緑色のチャンピオンベルトをかけてくれ、がっしり肩をつかんでポーズだ。
 朝鮮学校の生徒さんたちはクラスで一枚なのに、完全な部外者の私はツーショットである。私は8月の防衛戦の時に買った徳山Tシャツを着ていたので、「かっこいいTシャツ着てるなぁ」と、誉められた。このTシャツを着ていなかったら、あつかましい日本人ということで左ジャブを食らっていたとは思わない。ちなみに、この写真は朝鮮学校の写真係の先生に撮影していただいた。彼によると部外者の私との写真がベストショットだったという。「この写真すごく良く撮れているんだけど、こっち(学校通信などに)じゃ使えないんだよね。」と複雑な心境をぶつけられた。こんなものは撮られたもの勝ちだ、してやったり。

番外編〜私のチャンプの印象について
 身長170cm減量時には52.1kgと、かなりの痩せ型である。私も華奢な方だが、見た目はチャンプの方がずっとスリムである。ひょろひょろしていてフランクな性格で、一見すると何だか世界王者という印象がなく、フレンドリーで爽やかな青年という感じである。
 さて、チャンプの「在日朝鮮人であることを誇りに思ってください」というメッセージ(確か日本語だった。在日朝鮮人といっても朝鮮色の強い学校などを離れれば普段日本語を話すので、今では日本語の方が得意なようだ。)は私にとって相当インパクトのある言葉だった。こう一言で語るのは簡単だが、その中身は重い。
 言うまでもなく、圧倒的なマイノリティである在日朝鮮人はさまざまな差別をされ、不幸な環境で生活することを強いられている。チャンプも朝鮮人であることを公表している以上、さまざまなリスクを背負っているのだ。本来ならばもっと評価されるべき功績、かつて徳山選手の公式ウェブサイトの掲示板は閉鎖(挙げればきりがないし、気分も落ち込んでしまうので止めておこう)…などなど。
 そういったリスクから逃れるため、在日朝鮮人であることを隠している有名人は無数にいるという。ただし、それは個人の自由であるから、私は彼らの行動を尊重するし、彼らの名前を挙げて非難する気も全くない。現実的に言えば、在日朝鮮人であることを隠した方が無難な生活を送ることも事実なのだろう。
 しかし、個人的にはチャンプのように公表している人間の方がかっこいいと思う。在日朝鮮人であるということを隠さず、大きなリスクを背負ってまでも、自分のアイデンティティを大切にして、ハングリー精神を持ち続け、世界チャンピオンになるという偉業を達成したのである。ある意味、日本人が日本で同じように世界王者になることよりも素晴らしいかもしれない。それは、多くの同胞に対しても大きな希望や勇気を与えることができるからである。私はこういったマジックを強く信じているのだ。
 では、朝鮮学校の生徒さんが同じように感じていたかというと、多分そうでもなかったりする。会長は、「この子たちの多くは彼(註:徳山選手のこと)の偉大さがわかっていないよ。同じ朝鮮の有名人にはしゃいでいるだけだ。」と嘆いていた。私は「僕は彼のことを生き仏のような存在だと尊敬していますけど、彼らはまだ幼いし、難しいかもしれませんね。」と苦笑いするしかなかった。
 彼らはまだ学校という同胞に囲まれた環境でしか育ったことがないのだろう。朝鮮色の薄い環境で生活しなければ、チャンプのような認識ができないのだろう。彼らはまだ同じ朝鮮人によって守られた小さな世界から抜け出していないのだ。彼らが成長してもチャンプのメッセージを忘れず、いつかチャンプの言葉を理解し、強く生きるように願っている。

 こんな感じで私とチャンプの記念すべき初対面は終わる。振り返ると、改めて私は美味しい思いしかしていない。この場を借りて、チャンプ、朝鮮学校の会長をはじめ、生徒さんにいたるまで、まるで同じ朝鮮人のように暖かく受け入れてくださったことに御礼を申し上げたい。カムサハムニダ。


後書き
 日本語で書いたので、この文章を読むのは圧倒的に日本人が大多数、在日朝鮮人や日本語のできる外国人は全体の1%位でしょうか。みなさんはどんな感想を持ちましたか? いろいろなご意見をお待ちしております。面白い経験をしたね、という人もいるでしょうし、何となく信用できない話だ、というかもしれません。別にそれは構いません。
 私がいろいろと在日朝鮮人の皆様と関わりを持つようになって気づいたことは、私も含めて日本人は心の片隅で何となくコリアンをはじめアジアの人々を見下している傾向があるのではないかということです。日本は半世紀くらい前にアジア諸国を侵略し、現地の人々を搾取してきました。その意味においては、日本人は彼らに対する優越感を持っているのです。まれにいる頭の悪い人たちはその事実すら否定する、日本の過ちを見つめようとしないことすらありますが。
 一方で、アジア諸国ではこれと同じように心のどこかで日本人に対する反感や嫌悪感を抱いている人も確実にいるでしょう。戦争というのはとても大きな出来事で、この被害は50年以上経った今でもなお人々の心から完全に消え去ることはありません。アジアで突出して豊かになったことも尚更拍車をかけているでしょう。悲しい歴史に対して、誠に遺憾である、心から陳謝するといった安っぽい言葉を使うのは簡単すぎて中身がありません。ありふれた言葉よりも、そういった事実は常識として、フレンドリーな関係を築くのが私のやり方です。
 島国民族日本人は異なった価値観に適応するのに慣れていませんし、遭遇するチャンスにも恵まれていません。私の文章が少なくとも朝鮮半島と日本の間の小さな架け橋になれば幸いです。
 なぜこんな後書きを載せているかといえば、それは徳山選手をはじめとする在日朝鮮人の皆様に対する敬意です。一度だけ、在日1世の方に日本人に対する厳しい意見を言われたことがあります。私は全くの無知で架け橋などと偉そうな言葉を使っているわけではありません。21世紀において、日本はアジア諸国と協調して生きていかなければなりません。私が死ぬまでにはアジア統一貨幣の誕生も夢ではないと思います。
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