私は鬱病持ちである。私の従兄弟はストレスをためて身体的な大きな病気を発症してしまうタイプだが、家系的には精神的に参ってしまう人はいないと思う。家系の遺伝的な影響がそれなりにあるとは思うが、どちらかというと私は異端児的な存在なのかもしれない。
 明らかに鬱病になったとわかったのが、去年の夏休みである。1年半ほど付き合った彼女と別れ、どうしようもなく心に隙間ができてしまったのがわかった。突然の出来事に、そのスペースをどうやって埋めていけばいいかわからなかった。まるでコントロールできない誰かの感情をいくつか同時に抱えているみたいだった。
 もともと私は精神的にタフであるという自信があった。手相で言うと、左手は完全なマスカケ線だし、周りの人に比べても何となく気合いだけはあるような気がしていたし、少なくともその面では負けたくないといつも思っていた。何かくじけそうになったときでも持ち前の負けん気を発揮し、自分を叱咤激励し、奮い立たせるのが好きなのだ。
 しかし、失恋したときにはそうはいかなかった。気合いを入れようとしてもどこか空回りし、身体に力がみなぎらないのである。自分の大きな長所が失われてしまったと感じた。私は初めての事態にひどく混乱した。
 恐ろしい夢を見ては目覚め、睡眠が不安定になる。何に対しても30分と集中できない。マンガも読めない。あらゆる音楽もうるさくて聞きたくない。そういえば頭痛が何日も続いている。頭が何も働かない、血液が鉛のように重くなってくる。何を食べても味がしないし、食欲もなくなってくるし、性欲も何もない。何もしたいと思わない。身体があらゆる刺激を全く受け付けなくなっている。

 ついに私は完全にダウンしてしまった。外に出ることもできないし、布団から出ることすらできなくなった。自分が情けなく鬱病にかかっているなんて誰にも知られたくないし、心配でもされたら、人に迷惑をかけていると思い込み、ますます自分を責めてしまう。
 ただ時間の過ぎていくのを無気力に感じるしかなかった。たまに水を飲み、一日にクロワッサンを一つ食べればそれ以上何も口にしたくなかった。ほんの少し指を動かすだけでも異常なまでのエネルギーを消耗するようである。身体中が錆びつき、もう一生このまま何も感じないのかと不安になる。彼女からのメールも電話ももうない。世界中で自分だけ誰にも見向きもされない人間のように思える。そんなときに、なおさら自分の不甲斐なさを責める。最強の無限ループにはまってしまったようだ。
 そこで私がしたことは、ただひたすらに身体を休めることだった。それは、受身的ではあるが、とにかく自分を責めることなく、身体の痛みが自然に過ぎ去っていくのを待つことだった。寝られるだけ寝る。精神的であれ、病気は病気なので自分を許し、無期限に休んだ。今思うと、だらけることはあっても、そのように自分を甘やかしたことはこれまでになかったかもしれない。他人から見れば全くの無意味な日々だったが、おかげで少しずつ回復してきた。

 数日たつと、まず食欲がわいてきた。久しぶりに何かを食べたいと思った。食欲があって、正しくそれが満たされるというのは、非常に爽快な気分だった。まともな食事をしていなかったせいか、何を食べても美味い。精神と肉体はリンクしていることを実感した。肉体にエネルギーが装填されると、精神も同様に回復し、次第に他にも何かをしたいと感じてきた。

 なぜ鬱病になったか。私は今でも軽い鬱病持ちである。ほぼ毎日、数時間くらいは元気がなくなってくる。日常生活に支障が出るほどではないが、エネルギーの供給に大きな波がある。一日の途中でエネルギーを消耗してしまうと、その瞬間にまるで違う自分になってしまう。
  私は生来自分に大きな仕事を与えてしまう性質である。そのため、ノルマや目標が達成できないと、激しく自己嫌悪に陥ってしまう。日々その繰り返しである。自分を向上させるには、厳しい目標を立て、それに向かって努力していかなければならないが、一方で、厳しい目標を達成したら(たとえ達成されなくても努力をしたら)、それと同じくらい身体を休めることも不可欠であるとわかった。
 鬱病持ちになった大きなきっかけが失恋であることは間違いない。一年以上経った今でも、ふと昔のことを異常なほど鮮明に思い出して寂しくて泣いてしまうこともある。ドアベルを鳴らして彼女が今にも戻ってきそうな期待がある。無意識に彼女の名前をつぶやいていたりする。
 私の思い出とは別に、時間は残酷に過ぎていく。私はもう4年生になったし、彼女は大学院に進学した。しかし、彼女に関する私の記憶だけはずっとその場所で立ち止まっている。私の思い出だけそこに取り残されている。もはや存在しない思い出だけ今でもそこで孤立したままだ。

 おそらく、自然な時の流れを逆送するような記憶は、精神的に相当の悪影響を及ぼすのだろう。人間は適当に物事を忘れなければならない。すでに過ぎてしまったことに捕らわれるのをやめ、居心地の良い過去に浸るのをやめ、厳しい現在に適応しなければならない。
 そうなると、結局私は鬱病とうまく付き合っていかなければならなくなる。これは現代人の宿命であろう。こういった経験は何も私固有のことではないし、もっと重い鬱病にかかっている人もたくさんいる。鬱病全体的に見れば、比較的一般的な精神の風邪レベルのものかもしれない。
 人生に大小多数の波があっても不思議ではないと思う。今の時期は、自分を磨くために毎日が厳しい。しかし、せいぜいあと何年(何十年?)かすれば、私はもっと落ち着いた感情で毎日を送ることが出来るようになるだろう。それは何かを達成した人間の証明でもあると思う。苦しい日々を乗り越えて、人に影響を与えられるような完成された人間になりたい。だから、少しばかり苦しい日々があってもめげることなく、変わらず自分に厳しくありたい。同様に、しっかり休ませてあげたい。


追記
 あらぬ誤解を与えかねないので、補足します。鬱病はれっきとした病気です。お前ががんばらないから鬱病なんだ、なんて見当外れのことはいわないでください。私は頭がいかれるまでがんばりました。無神経な人は目に見えない病気に対して非常に鈍感ですよね。
 私は鬱病時に病院に行きませんでした。その時は本当に外に出たくなかったので、自己療養(放っておく)していました。おそらく通院すべき状態だったかもしれません。今も軽い鬱というか、気分に波があるのですが、まあまあ自分の感情をコントロールすることは可能になりました。
 気分が落ち込んでしまったとき(大抵は勉強がうまく行かないとき)、私は何とかして気分を変えるよう努力しています。軽く身体を動かしたり、歌ったり、本を読んだり、文章を書いたり、電話したり・・・。とにかく、そのストレスを与えている環境から一時避難し、精神を落ち着かせることにしています。時間とお金があれば、旅行などもいいかもしれません。このように少し休めば、また戦場に復帰することも可能です。
 鬱病は必ず(ほとんど)治る病気で、正しい有効な治療法というものが存在します。鬱病には非常に多くの症状(頭痛、吐き気、寒気、関節痛、あらゆる気力の喪失・・・など)がありますが、共通しているのは何となく元気が出ない、という感情ではないでしょうか。鬱病予備軍みたいな人は少なくないと思います。辛いときには遠慮なく家族や友人など他人に甘えてください。インターネットでも鬱病関連の優良サイトは少なくありません。
 現代人はさまざまな原因でストレスをためやすい環境にいます。それにも関わらず、日本では仕事休みもまともにとれないなど、社会的・制度的にもストレスの認知が非常に遅れています。皆様もストレスを解放する安全弁を確保してください。自分の精神力の限界を把握し、自分のペースを維持するのは決して易しいことではありません。無理をすると何時の間にか深刻な身体的ダメージが現れてきます。冗談ではなく、最悪死ぬことすらあります。


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